兼続の胸に、深紅の花が弾けた

頭から血をかぶったような慶次が吼えている

三成の胸を槍が貫き、大樹に縫い止める

満身創痍の左近に尚も、鉛玉が降り注ぐ・・・



黒い焔は、死に逝く彼らに問うた

『彼のモノ、異形の闇人にそうまでして味方する理由は?』

彼らの答えは同一であった

「あいつが、守りたいと願うモノの為ならば・・・命など惜しくはない」


幸せになってほしいのだ
報われぬ穢れ無き暁闇の光
闇を統べる孤高の鳥

此の世界で報われない美しすぎるものたち
彼らが幸せになれるのならば、此の身など、此の命など

幸せになってほしいのだ
残酷な覚悟を強いられる道であっても
二人が幸せで在れば其れで良いのだ

其れが、我らの願いなのだから・・・


黒い焔は嘲笑った

『異な事を言う。あの子の幸せは、私以外の誰も叶えられない。
 異形のモノになど・・・闇人になど、あの子を幸せには出来る筈がない!
 誰よりもあの子のことを愛している此の私こそが、あの子の唯一絶対の神なのだから!』



「追撃の手が緩くなった・・・信幸、何を考えている?」

気配を手繰りながらキノトが呟いた。
まるで戦場のような遠い喧噪が収まったことに、幸村は不安の色を隠せない。

(慶次殿、兼続殿、三成殿、左近殿・・・・・!!)

嗚呼、どうか、どうか無事でいて下さい ...!
虚空を仰ぎ、幸村は心の底から願った。

「まだ、走れるかい、幸村?直ぐ其処を流れる河が、其の先で瀧になっている。
 流れに沿って、兎に角ヤツらから離れたいと思うのだが。・・・幸村?」
「・・・四人の、無事を願っておりました。」

注意深く辺りの様子を探りながら言うキノトに、幸村は静かに答えた。
キノトはすまなそうな微苦笑を浮かべ、そっと幸村の頭をなでる。

「大丈夫、彼らは強い。うまいこと戦線を離脱して逃げ延びたのだろうよ。」
「しかし、そうであればこの森を抜けてしまっては・・・」
「幸村。」

今し方走ってきた方を遠く見つめる幸村の頬に両手を添え、キノトはゆっくり言い聞かせた。

「何の為、彼らが足止めとなってくれたのか考えるんだ。お前が逃げなくてどうする?」

言われれば、幸村に反論の余地はない。

「三成や慶次あたりは、わたしの考えを見抜くのが得意だ。大丈夫、きっと追いかけてくる・・・」


微笑んで言うキノトの、細い首に
ひゅん・・・・と、細い紐が背後から巻き付いた。

半瞬後、首が絞まるほどの勢いでキノトの躯が闇へと引っ張られる。

「キノト殿・・・」
「逃げろ!幸村逃げるんだ・・・・・・ッッッッッ!!」

引きずられながら、苦しげな声が叫ぶ。
“直ぐ其処を流れる河が・・・・”と言われた方向へと
幸村は駈け出した。
両眼からは涙が溢れ出した。



「私から弟を奪おうとは、見上げた妄執だな、黒鳥。」

引きずり込まれた闇の中で、黒い焔が燃えていた。
両腕を押さえ付けられ、膝を折らされた体勢で、キノトは信幸と対面した。

穏やかな、顔の男であった。
幸村の実兄だけあって、よく似た精悍で凛々しい顔立ち。
しかし、狂気じみた影が色濃く染め上げた・・・幽鬼のような顔に、キノトには見えた。

「妄執はどちらだね、信幸?幸村はお前のモノでは無いというのに。」
「私のモノだ。其れを奪おうとする者などすべて死んでしまえばいい。あの子が迷わないように。」
「友も主家も、武士としての誇りすらも奪って手元に置くことが人間の愛情なのかい?」
「愛してくれる肉親の元にいることこそが最高の幸せなのだ、穢れた闇人よ。」

すらり、と。
抜刀された刃の青白い光、其の刀身にキノトが映し出されている。

「他の四人にはもう死んでもらった。何人か死者が紛れこんでいたことには少々驚いたが・・・
 貴様の差し金とあれば話は早い。」

一閃
頬を一陣の風が掠め、黒い血が一筋走った。

「私から幸村を奪おうとするだけでなく、徳川に盾突く其の行為。最早楽に死なせてやることなど出来んぞ、黒鳥。」
「最初から、想像し得る限りの惨たらしい死に様を与えるつもりで居たクセに、よく言うじゃないか。」

黒い黒い、禁断の焔。
いっそ其の焔を抱いた本人が消し炭になってしまえばいいのに、とキノトは思った。

そうしたら、あの子は何処へなりとも自由に羽ばたいて、生きていけるのに。

「自らの末路まで想定済みか。ならば望み通りに殺してくれよう!」
「残念だけど、そう簡単に此の命はくれてやれない!」

高く
振り上げられた刃に動ずることなく、腕を押さえていた雑兵二人を軽々弾き飛ばして。
キノトは軽やかに空を舞った。
其の侭包囲網の外へと着地し、風を起こして走り出す。


遠く・・・少しでも遠く・・・少しでも幸村の逃げた方から、遠く、遠く、遠く・・・・・


「あぐっっ!!」

出し抜けに
左の肩に激痛が走った。
バランスを崩して倒れ込む視界の端に映ったのは、深々と突き刺さった一本の、矢・・・

「な・・・・矢、だと・・・?」

闇人が有する特異な能力の一つに、凄まじい速度の自己再生力が上げられる。
事実此の程度の攻撃で、此程の痛みが走ったことなど、キノト自身これまでに、無い。
だというのに、傷口からジワジワと冷たい痺れが全身に広がっていく。
動きが、奪われる。体の自由がきかなくなる。

「其の鏃は、銀で造らせた特殊なものだ。」

悠然と
歩み寄る音と共に、漆黒の焔が近付いてくる。

「小耳に挟んだ話で、西洋では魔物を討ち滅ぼす際に純銀の武器を使うというものがあった。
 ならば貴様にも、銀で出来た武器ならば通用するのではと思えば、案の定だ。」

不覚であった。
其れは、キノトの予想だにし得なかった弱点が露見したことを意味している。
事実銀の矢に射られ、たった一撃だけでキノトの動きは封じられた。

命数は、定まった。


「ほう、たったの一矢で此処まで効くとは、素晴らしい。」

わざわざ
前へと回り込んできた信幸のてには、冷ややかに煌めく弓と
其処につがえられた、銀の矢・・・
紛れもなく狙いを定める其の先には、キノトの右眼がある・・・・・

辛うじて、首を捻った。

右眼は守ったものの矢を避けることはできず、新たな熱が右肩に奔る。
そのまま、更に力の抜ける躯を強引に翻し、立ち上がろうとした刹那、
三度目の激痛が、左腕に生じた。

ガクガク笑う膝を叱咤したところで第四撃が、右脚に
崩れたもう片方の足に、五つ目の矢が突き刺さる。

信幸は、執拗に顔と、そして心臓を狙っているようだった。

左眼を狙って放たれた六本目はどうにかかわせたが、掠めた鏃は白い頬に、二つ目の黒い軌跡を描いた。
苛立たしげにつがえられた最後の矢は心臓狙いだった。
八割方力の入れられない体を無理矢理動かして、キノトは其れを避けた。
幾重にも重ねた道服を裂き、脇腹に裂傷を負わせたのは・・・・

信幸の、執念だろうか。


「存外しぶといな。」
「簡単に、此の命呉れてやれないと言っただろう?」
「ふ、ならば掻き消すまでだ。」

言いながら
翳す白刃は、先程の太刀。

「美しいだろう?貴様のような魔物を滅する銀の太刀だ。」

大上段から振り下ろされる一撃に、漆黒の焔が絡みつく。
越えてはならない境界を越えた者の顔で、信幸が笑っているのをキノトは見た。

一閃

起こったのは空を切る音であった。
ギリギリ最小限度の身のこなしで、キノトは其の狂気から逃れたのだった。
と言うより、そんな避け方しかできないと言った方が正しい。
ともあれキノトは、咄嗟に逸らせた上体のおかげで顔面を割られずに済んだ。
しかし、其の剣圧が・・・
幾重にも顔を覆っていた暗灰色の布を、切り裂いた。


「悲鳴も上げられんか。闇人、お前は完全に化け物だったというわけだ。
 化け物が私から弟を奪おうなど・・・其の罪、死んだ程度で贖えると思うな!!石田三成!!」

闇に喰われた眸の男が吼える。
しかしキノトは少しも動じることなく、得心したように低く呟いた。

「成る程。お前が三成に拘った理由もこれか・・・」
「白々しい真似をするな、闇人め。京で斬首されたのも、今し方私が切り捨てたのも、貴様が生み出した
 影だったのだな!我が実弟を誑かした化け物よ、己の罪を悔いるがいい!」

信幸のセリフで、キノトは全てを諒解した。
信幸が三成を何かと気遣い、しょっちゅう手紙を寄越した理由。
家康の元につきながら、常に三成のことを念頭に置いていた理由。

「幸村に手を出さないように監視、していたのだね。苦労なことだ。」

最大限の嘲りを込めてキノトは笑った。けれど。
指の一本とて、もう満足には動かせない。

天命は尽きた。

崩れ落ちた躯を乱暴に抱き起こす信幸の配下を、
狂気の淵で微笑する信幸を、
キノトは、静かに見つめた。

「首と胴を離して殺し、二度と再び幸村の前に現れぬよう、紅蓮の業火で欠片も残さず灼いてやる!!」


振り下ろされた白刃は、あの純銀の

万物を滅する刃が走り

白く細い首は 容易く 飛んだ


「ふん・・・もっと無惨に、見る影も留めぬような始末をしてやりたかったのだがな・・・まあ良い。
 貴様にかまけて幸村を逃しては、結局勝ち逃げされたと同義だ。・・・行くぞ。」

黒い焔を翻し、信幸は幸村を追った。

落とされたキノトの首、其の唇が最期に紡いだ言葉を

信幸は、知らない












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