思えば、彼の人に初めて見えたのは
無二のと友と出逢った、あの小田原の地で

冴え冴えと明るい昼の日差しの元でなお
夜闇を纏ったように漆黒の・・・影が舞っていたのだったっけ





其の日
三成の屋敷に呼び出された幸村は、待たされている間にふとそんなことを考えて、いた。
(呼び出した当の本人は、此の状況を彼らしくもなく何度も何度も詫びて辞していった後である。)
思えばあれ以来、かの麗人には一度もあった例が、無い。

(何者、だったのだろう。)

一人首を捻るが、どうしても分からないのだ。
しかし・・・だからといって、気味の悪い人物だという認識は、幸村にはない。
優しい手、優しい聲、其れはさながら・・・・


(十六夜月の光に、似ていたような気がする。)






・・・其の存在に気が付いたのは、戦の中盤頃だったか。
堅城小田原の屋根の上に凛と立つ影、果たして何時から其処にいたのか。
まるで最初から其処に止まっていたように、鳥がふわりと舞い降りたように。

(鳥?)

不意と己の心に浮かんだ其の言葉に、幸村は違和感を覚えた。
鳥、にしては大きすぎる影。
明らかに人の形をしている其れ。

何故、鳥だなどと。

戦の最中であることも暫し忘れ、其の影を見つめていた幸村の傍らを
血相を変えた三成が駆け抜けていったのに気が付いて、

(なんの考えがあったわけでもなく、其れに続いたんだ。)

其の向かう先は激戦区ではない、と
何処かで冷静だった思考が判断していたのを、奇妙なくらいよく覚えている。



『・・・キノトっっっっ!!』

驚き、心配、動転、兎に角いろいろな思いが入り交じった声だった。
それなりに付き合いの長くなった幸村だが、三成のあんな声は後にも先にもこのとき以外聞いたことはない。

焦燥に駆られたような三成とは対照的に、呼ばれていた人物・・・
黒鳥・キノトは優雅に佇んでいた。
幸村が、つい今し方まで見上げていた屋根の一角に。

『何事だね、三成?』
『お前、こんな昼日中に外に出て・・・・お前達【やみびと】は光が弱点ではなかったのか!?』
『ああ。確かに我が一族の者は、光を浴びればただでは済まされない。が・・・

 わたしに、光は通用しない。』

不遜なまでに
凛と言い放つ其の姿が、非道く眩しく見えた。


(この方がいれば、此の戦負けはない。そう、確信出来た。)

思い起こしても奇怪な確信だ、幸村自身そう思う。
けれど、なんの根拠もなく信じられたのもまた事実で。

(不思議な、人だ。)

其れは、今もあの時も変わらない認識である。



だからこそ
其の“ 不思議な人 ”が、自分に気づいたときには
みっともないくらい驚いてしまったのだけれど。



『で?其の、後ろに連れてきた子はなんなのだね?』

悠然と答えたキノトは、狼狽する三成を尻目に
成り行きで此処に来てしまっていた幸村に気づき、首を傾げた。
慌てたのは三成である。

『幸村!?な、何故お前が此処に!!?お前は確か、』
『すみません三成殿。三成殿が、深刻な顔をされて走っていかれるのを見たものですから・・・』
『心配していっしょに来たのだね。良い子じゃないか。』

ふわ
頬に軽く風が当たり、三成の方を向いていた顔を正面に戻せば
先程まで屋根の上にいたキノトが、軽やかに其の衣の裾を翻して

幸村の眼前に舞い降りた、其の瞬間を目撃した。

『君の名は?』

繊細な白い指が、そっと伸ばされる。
傷どころか、棚引く其の衣の袖口さえ綻びていないいでたちに

一瞬、目と心を奪われた。

『幸村?』
『・・・っ!真田、幸村。』

怪訝そうな三成の声がなければ、我に帰れなかったと、思う。
全て見透かしているように、キノトは微笑するばかりだった。

『幸村。成る程、三成の知遇だね。
 わたしはキノト。太古の昔より人間諸君の隣人として、
 とある島に生きていた一族の長だ。訳あって三成に荷担している。
 君の敵ではないから、安心してほしい。』
『は、はい。あの、島、とは・・・・』

何処から何を聞けばよいやらで、目を白黒させる幸村に委細頓着せず
キノトは其の柔らかな指で、そっと幸村の頬に触れ、微笑んだ。

『人の子は、知ることが出来ない場所だ。
 何処か遠くの海から来た黒鳥・・・わたしのことは、そう思っていればいいさ。』

する。
優美な其の手が撫でていった場所が、少しだけ、じん、と疼いた。
なぞるように自分の手で触れてみる、其処には何も残っていないというのに。


「キノト殿・・・」

其の名を、呟いてみる。
長閑な静寂が、一瞬だけ・・・楚々と揺れた。