サイレンが鳴ったら

外へ出てはならない

狂ったように、けたたましく

サイレンが、鳴り響いたら






【 SIREN −水晶御詠歌−  】






午前0時
紅い海からサイレンが鳴り響き
封印された筈の惨劇が
闇と共に蘇る



「サイレンがさ、鳴るんだよ。」

夏も終わりの黄昏時。
佐助は、勘助の膝に頭を預けて、そう言った。

ズタボロの敗戦から、半年。

壊滅に追い込まれた武田軍の残党は、その大多数が伊達によって保護されていた。
佐助も、そして勘助も、この中の一人である。
“大多数”などとは言っても、その実が殆ど討ち死にしたようなもので。
匿われている人数だって、決して多くなど、無い。
伊達に保護されている面々以外は、消息不明と言っても間違いではないくらいの勢いなのだ。
其の位、非道い負け戦だった。


「さい・・・れん?」

耳慣れない異国の言葉に、勘助は其の細い首を傾げる。

伊達殿が吹き込んだのだろうか?

気になるが、其れを取り上げて問題にしている余裕は、無い。

「夜中になると。紅い海の向こうから、けたたましく鳴り響くんだ。」
「其れは、また・・・奇怪だな。」
「鳴ったらね、勘助兄ィ。外へ出てはいけないんだ。絶対、外に出てはならない。」

譫言のように、繰り返す、聲。
勘助は、痛々しげに佐助を見つめるしかできない。
佐助の視線は彼方を彷徨っている。

「ね、だからね、勘助兄ィ。夜は外へ出ない方が良い。・・・旦那も、だよ。」

ゆらり、覚束無い佐助の視線が、一点を捉える。
先に居るのは、無上の主と佐助が仰ぐ、真田幸村の姿。

らしからぬ生気のない風情で彼はただ、無言で頷くばかり。

「いい?絶対出ちゃ駄目だから。団子が無くなったとか、色々言っても駄目だからね。」

無言。
頷きだけで返す其の反応のみ、しかし佐助は満足したようだった。
勘助は、痛ましげに目を伏せるばかりだった・・・・・。



翌日。
この所日が沈む時は何時も、血で染め上げたような深紅に空が染まる。

(不吉な・・・)

夕焼けは明日が晴れる証。昔からそう言われている。
けれど。

(暗雲は・・・何時になったら、晴れる?)

空が苛立ちを覚える程に晴れても、晴れないものがあるというのに。
そう、例えばあの敗戦以来、何処か何かが壊れてしまった・・・・・

其処まで意識を巡らせて、勘助は眸を閉じる。
考えるな。
努めて遮断しようとしても、掻き消えてくれない其の光景。

「さいれん・・・紅い、海・・・」

噛み締めた唇に、かすか血の味が滲む。
刹那。
背後で起こった物音に、弾かれたように振り返れば、其処に。

「・・・伊達殿。」
「Sorry.驚かせるつもりはなかった。」

目下の保護者・・・奥州筆頭の、独眼竜の姿があった。


「あやつは今、城の裏手の草原に行っております。」
「そうか。聞いてたよりは、元気そうじゃねーか。」

時間取れなくて、話もろくに聞けないまま過ごさせて悪かった。
政宗は、開口一番そう謝りつつ、しかし煮え切らないような口ぶりで勘助に言った。

「此処に来るまでが非道かった。取り乱し、泣き叫び、或いは自害するやも知れぬ、と。」
「あいつがねえ・・・まあ、自分の落ち度を責めすぎてるんだろ、あの性格だしよ。」
「ええ・・・余人には、なかなかそうとは悟らせぬ質でしたが、責任感は強かったから。」

沈む陽を眺めながら、誰のこととは言わないまま、二人は静かに話し続けた。
誰のことか、なんて。
互いに、言わなくても分かっていた。

「自分が駆けつけるのが遅れた所為で、主を失ったのです。自責の念は計り知れない。」
「だろうな。心底、惚れ抜いていた相手だったんだろ。」
「それは、もう。」

Ha・・・.

政宗の吐息が、虚空に消える。

「戦場であいつを見た時は、正直言って肝が冷えた。こんなヤツが居る軍と対峙するのか、俺は・・・って、な。」
「保護して下さっている御恩、何とか返したくても・・・あやつが、あれでは。」
「んな下らねェ期待はしてねえよ。ただ・・・このままのあいつを見ているのは辛い。」
「伊達殿・・・」

謝罪と、感謝と、何とか言葉にしようと勘助が口を開いた、刹那。

「・・・・・・・・・・・・・・ッッッ!!!!!」

掠れたような、其れは小さな小さな悲鳴。

「佐助の声・・・」
「行くぜ!」

城の裏手にいるはずの佐助を探して、薄闇の中二人は一目散に駆けだした。




少し、時間は遡る。
青葉城の裏手で佐助は、ふらりと外に出たまま戻らない幸村の姿を探していた。
もう、日が暮れる。

(旦那・・・ただでさえ元気ないのに。日が暮れたら寒くもなるし、何処行っちゃったんだろ。)

「だーんなァーーーーー・・・・・」

名前を呼びながら、彼方此方ふらふらすること数刻。
緑色の草の中、一際鮮やかな赤を見つけたのは、もう薄闇が色濃く変わり始めた刻限。

「旦那ッッ!!??」

慌てふためいて駆け寄れば、目を閉じて死んだように動かない、冷たい幸村の、躰。

「旦那、ねえ旦那ってば!!」

揺すっても叩いても、反応がない。



・・・・・・・・・・・・・・焦って、揺れる目前に。

蘇ってくるのは、あの。


“雨の八幡原”

“無惨に散らばる風林火山の旗”

“血溜まりの中、倒れ伏して動かない・・・・・”


「幸村様ァァァッッッッ!!!!!」

厭だ、厭だ、この人を失いたくない!!

この人に居なくなられたら、オレは。

この人が居なくなってしまったら、オレは!!


押し寄せる恐怖が、ガクガクと手を震えさせる。



瞬間。



・・・・・ゥ゛ヴウウーーーーーーォォオオオオオオオーーーーーーーーーーー・・・・・



高く遠く。
大地を揺るがして鳴り響く。

SIREN

耳をつんざく狂おしい大音量、闇に呑まれ始めた、黄昏の空を切り裂いて。
ああ、頭が割れる・・・!!

(サイレンが鳴ったら、外に出てはならない!!)

見知らぬ少女が繰り返した、あの警告の言葉が蘇る。

「幸村様、早く・・・早く、城へ・・・!!」

外に出てはならない、外にいてはいけない。
ぐったりと動かない幸村を抱きかかえ、転がるようにして踵を返した、其の場所に。

「佐助!」
「・・・勘助兄ィ・・・」

息を荒げ、けれど安堵したような白い顔に、訳もなく涙が溢れる。

「勘助兄ィ、旦那が・・・」
「・・・ああ。分かった。分かったから佐助、帰ろう。」
「旦那、休ませれば目を醒ますかな。オレが目を離したから・・・ただでさえ様子おかしいのに、オレ・・・」
「お前の所為ではないよ。さあ、帰ろう。」

労しげに、佐助の肩を抱きかかえる勘助。
政宗は、異様な物を見るような、息を呑むような面持ちで、しばし其の姿を呆然と見ていた・・・・・。



「2回目、だよ。」

幸村を背負い、青葉城に用意された一室へと帰る道すがら。
佐助は、誰にともなくそう零した。

「2回目?」
「サイレンが鳴ったの。これで、2回目なんだ。」

3回目が鳴ったら、最後だから。

「気をつけて。あの子が言ってたよ、旦那はあの子に会いに行ったんだ。」
「あの子?」
「緑色の服着た、金色の眸の女の子。サイレンを止めるには、禁域の水晶を壊せ、って。」

鬼気迫る、佐助の言葉。
勘助も政宗も、圧倒されるばかりで、言葉が出て来なかった。



おかしいよ、絶対。
佐助はそう繰り返し勘助に訴えた。

「大将は何時になっても此処に来ないし。旦那はあの戦以来、すっかり塞ぎ込んでる。」

昏々と眠る幸村に、そっと布団を掛ける。
其の佐助の仕草は、あまりに優しく丁寧で。

「サイレンがいけないんだ。アレが鳴るから、みんなおかしくなる。」
「しかし佐助、止める方法はないのだろう?」
「あるって!!禁域の、あの水晶柱。あれから聞こえるんだって。だから・・・」
「佐助。」

取り乱したような風情の佐助を押しとどめ、勘助はそっと諭した。

「あの水晶は、地元のご神体だろう?其れを壊すことは、まかり許されぬ。」
「でも・・・」
「お館様は、お怪我の具合が思わしくなく、思ったように進めないのだそうだ。そして幸村は・・・」

半瞬ばかり、言い淀んで。
けれど、佐助に疑問を差し挟ませはせず、勘助は続けた。

「幸村は、そうだな・・・。敗戦が、堪えているのだよ。主を守るべしと言い聞かせてきたのに、其れが果たせず今回のこの様だ。現実を受け入れる為の時間と、準備を与えてやれ。」

優しい腕。
額を撫でる柔らかな手の平に、佐助は不承不承ながらも頷く。

「分かった、けど・・・旦那、元気になるよね?」

揺れる鳶色の瞳は、まるで幼い迷い子のようで。

「なると・・・信じて、居る。」

勘助は、隻眼から零れかける涙を、必死で堪えた。





其の夜は、凄まじい突風が吹き荒れた。
寝入る幸村の枕元、佐助は黙して座している。

何処か、あどけなさの残る、寝顔。
愛しい愛しい、あなたは唯一無二のオレの主。

先の、戦の折り。
倒れ伏し、虫の息のあなたを見つけた瞬間は、息の根が止まるかと思った。
ああ、死なないで、置いていかないで。
側にいて下さい、側に置いて下さい。
繰り返す、まるで血を吐くような、願い。

握りしめた手は、嘗ての温もりが嘘のように、冷たくて。

「幸村様・・・」

耐えきれなくなった涙が、落ちた。

・・・と。

深い焦げ茶色の幸村の瞳が、ゆっくりと開いた。
喜びの言葉が、出かかった其の瞬間を塞ぐように。





・・・・・ゥ゛ヴウウーーーーーーォォオオオオオオオーーーーーーーーーーー・・・・・




3度目の。
今までにない音量の、けたたましい・・・

サ イ レ ン


(1度目は、警告だ)

(2度目は、脅迫)

(3度目は、引き金)

金色の眸の、幼いながらも威厳のあった、あの少女の言葉が甦る。
引き金。
人々を狂わせ変貌させる、其れは常世からの警報。

「幸村様。」

月光が掻き消された真暗い闇の中、主の素顔を透かす。
大きな瞳は、佐助を、佐助だけをひたと見つめていた。

「あなたは、オレが護るから・・・オレを、信じて、一緒に来て下さい。」

しっかりと、頷きだけで答える、あなたの全てが愛しい。
包み込んだ頬の温もりに、今、此の木っ端の命の全てを賭して誓う。

全力で守るから、命に代えてでも、あなたは。



温度がないような主の手を引いて、佐助は闇に沈んだ城内を走り出した。
3度目のサイレンは、引き金。
何の引き金だかよく分からないけれど、こうなったらもう、元凶を叩き壊すしかない。

夜目がきくことを最大の利に、疾走する佐助の、眼前。

「猿飛・・・」

ゆらり、立ち塞がる、人影。

「伊達の旦那、だね。悪いけれど其処退いて・・・ッッ!?」

軽少な身のこなしで、苛烈な一閃をよける。
戦場で、敵軍の足軽でも切り裂くような、剣捌き。

「伊達・・・・・!!」

息を、呑んだ。


吹き荒ぶ風と、止まないサイレンの狭間。
半瞬ばかり顔を見せた月光が暴いた、政宗の顔。

・・・・・否。

もう、“其れ”を政宗と呼んで良いのかどうか、佐助は判断できなかった。

異様なまでに白ざめた、肌。
眸から流れ落ちる、血のような紅い水。
非道く緩慢な仕草で、けれど其の剣技の冴えは相変わらずのまま。

“さるとび・・・・・・・”

低く罅割れ、掠れた声が、色の失せた政宗の唇から零れる。
僅かばかり開いた唇からは、目から流れ落ちるのと同じ紅い水がボタボタと。


――――――― ヒトが奴らとすり替わる。3度目のサイレンが其の合図よ。


少女の唇が刻んでいた言葉は、これを示していたのか・・・!!

奴ら。
死なない生き物だと、死ねなくなった人間のなれの果てなのだと、あの少女は言っていた。
これが。
此の、変わり果てた政宗の姿が。

死ねなくなった、人間だ、と・・・?

ああなんと

なんと、おぞましい生き物・・・!!


「悪いね。アンタを倒して、名誉を守ってやることは出来ない。けれど・・・」

構える手裏剣に、怒りと、哀れみを潜ませて。

「あんたみたいなヤツから、幸村様を護ると約束したんだ!!」

触れさせない、あの人にだけは絶対に。


佐助の放った手裏剣は、迷うことなく、屍人と化した政宗を切り裂いた・・・・・。




“此の郷は、大昔に神を殺した咎の郷。”

幸村と二人、城の裏手にある草原に座り込んでいたとある日のこと。
何処からともなく現れた美しい少女は、そう言った。

“サイレンが鳴るのよ。鳴ったら、外へ出てはいけない。”

あの水晶が奏でる、女神の嘆き・女神の怒り。
鳴り響くサイレンが、3度目の警告をならしたら、其れが引き金。

“壊すの。水晶を砕けば、吹き抜ける風の声はただの風に帰る。”
だから壊して。打ち砕いて。

其の言葉しか、もう信じられない。
サイレンは鳴り響いてしまったのだから。
頼りに出来るのは、最早己の両の腕しかないのだ。

走れ・・・・

あなたを護る為ならば、屍と化して尚生き続ける人間なんて、殲滅してみせるから。

走れ、禁域へ。

闇の中、繋いだ手の感触だけが、真実。




非道い、風の嵐だった。
目を開けるのもやっとな程の、突風。
草原は、闇の中幾重に重なるうなりに沈んで。

其の、真ん中に。

神と崇められ、畏怖されている巨大な水晶中は鎮座している。
アレを、砕けば。

「幸村様。」

顧みる、主の顔には恐れはなく。

「あの水晶を壊して、このサイレンを止めてみせます。簡単な仕事じゃなさそうだけれど・・・」

風は止まない。サイレンは止まらない。
止めなくては、何れ二人ともあの忌まわしい生き物に取り込まれてしまうだろう。
だから。

「オレを、信じて下さい。幸村様・・・」

愛しています。

幸村は、無言で、無表情で。
けれど、しっかり頷いた。



闇の草原に、澄んだ金属音がこだまする。
早く、早く止めなくては、サイレンを。

焦燥と苛立ちが、手裏剣の刃先を狂わせる。

「くっそ・・・・・」

ギリ、と、歯を食いしばって、一閃。
其れでも、水晶はびくともしない。

誓ったんだ。
たった今も、遠い遠いあの日にも、オレは。

「護ると、誓ったんだよ・・・・・・・ッッッ!!!」

血を吐くような、絶叫。
最後の手段の為にと、たった一つだけ残しておいた爆薬を投げつける。

刹那。

轟音と共に、水晶の砕け落ちる清い、音・・・・・。

「・・・やった・・・やったよ、旦那!これでサイレンは止まる・・・旦那!?」

一番に喜んでくれるはずの、主の姿。
直ぐ、後ろにいたはずの、彼の人の姿は何処にも、無い。

「旦那・・・?」
「壊してしまったか、佐助。」

幸村の姿を探す佐助の耳に、飛び込んできたのは。

「勘助兄ィ。」
「其れを壊した所で、“さいれん”は止まぬ。」
「え・・・てかそれより勘助兄ィ、旦那は・・・」



――――― ォォォォオオオオオオーーーーーオオオオーーーーーー・・・・・・・



耳をつんざく、悲鳴のような、大音量。

「・・・っっ、何で!?どうしてサイレンが・・・!?壊したのに、水晶はもう無いのに!!」

耳を、幾ら塞いでも。
地の底から、常世から響くようなその音は、少しも弱まらない。

「誰に、何を言われたか知らぬ。が・・・“さいれん”は、水晶から鳴っているのではない。」
「何?何て言ってんの、勘助兄ィ。聞こえないよ・・・」
「“さいれん”は・・・お前の・・・」
「・・・え?」


“さいれん”は、お前にしか聞こえていない。お前の耳の奥でだけ、鳴り響いて居るんだ。


「・・・・・何、で・・・。だって、旦那、旦那にも聞こえて、其れに旦那は何処に・・・」
「いい加減目を醒ませ。幸村は、もう・・・・・此の世には、居ないんだ!」



う そ

あ の ひ と は  も う い な い ?


「思い出せ、現実を。あの雨の八幡原、お前が抱き起こした時、幸村はもう・・・・・・」
「・・・嘘、嘘だそんなの、幸村様は居るって。今も、今さっきも、此処に、居て・・・・・!!!」

どんなにどんなに、言葉で否定しようとしても

ガクガクと

震えだす躰が覚えている。


“雨の八幡原”

“無惨に散らばる風林火山の旗”

“血溜まりの中、倒れ伏して動かない、最愛の主”



非道い、乱戦だった。
必勝の戦法・「啄木鳥の策」によって、人員は大幅に少なかった。
最前線で立ち回る真田隊の元に、本陣窮苦の知らせが届いたのは、まだ別働隊が仕掛け終わっていない時分。

「お館様ァァァァァ!!」

飛び出していった、幸村の背を。
ただ追いかけながら、佐助は走った。

そして。

伏兵によって、敵味方入り乱れて訳が分からない激戦の地で。
佐助は、幸村とはぐれてしまった。
散々に打ち負かされて、しかし何とか滴を追い返し、探し回った、戦場で。

見つけた幸村は、夥しい血を流し、目を閉じて。



「・・・あ、ああ・・・・・・・!!」

認められなかったんだ。
どうして、この人から離れてしまったのか。
どうして、この人の傍にいなかったのか。

護ると。
命に代えても護り仕えると、誓った主なのに。


「・・・・・っっあああああああああああああああああ!!!!!!!」

引き裂かれるような佐助の悲鳴は、うなる風の中遠く響いて、消えた。






「猿飛は?」
「眠っております、今は・・・。何と、お詫び申し上げたら、良いのか。」
「Ha.アンタがそんな顔した所で、状況は変わらねえ。だから気にするな。」

あのあと。
正気を失った佐助はそのまま昏倒し、勘助に抱きかかえられて城に戻った。
佐助に斬りつけられた政宗は、其れでも咎めるでも詰るでもなく、手厚い看護体制を取ってくれた。

「コイツ、どうなるんだ?」
「わかりませぬ。ただ、幻影を見続けてしまうほどに、幸村との死別が痛手となっているのかと思うと。」

勘助の視線は重く、暗い。
あの戦の時、別働隊を指揮していた勘助が、激戦の跡に戻ってきた時は既に。
冷たくなった幸村を抱きかかえ、佐助は虚ろな視線でぶつぶつと何事かを呟いていた。

「錯乱して、敵味方の見境無く、殺したのだろう。そして其の結果・・・」
「味方総大将の信玄まで重傷を負った、か。やったのは間違いなく猿飛なのか?」
「お館様の右肩には深々と、佐助の手裏剣が刺さっておりました。」
「成る程な・・・・・」

以来、佐助はずっと誰も居ない虚空に向かって。

“いい?絶対出ちゃ駄目だから。団子が無くなったとか、色々言っても駄目だからね。”

“あなたは、オレが護るから・・・オレを、信じて、一緒に来て下さい。”

声を、かけて。
手をさしのべ、抱きかかえるような、手を繋ぐような仕草をして。

あたかも、其の場所に幸村が居るかのように、振る舞って。


「こんな、酷な告げ方しかできなかったのかと。そう思うと、拙僧は自分の無力さが呪わしい。」

ぽつり。
勘助の独白は、小さく、冷たく、痛かった。

「追い打ちをかけるようで悪ィが・・・bad newsだ。」
「追い打ち?」
「巨星、堕つ。甲斐の虎が死んだそうだ。」
「・・・そう、ですか。」

静謐な紫水晶の隻眼から、一滴。
涙が、零れた。

「行く宛てがないのなら、此処に居ればいい。あんたも、猿飛も。」
「・・・けれど・・・」
「武田のおっさんの事は、嫌いじゃなかったしな。最後までお前らの面倒見てやるよ。」

ほろり、気障に笑ってみせる其の横顔に、勘助は深く感謝した。




 
【 敬い申し上げる 嘆きを聞きし魂 】
【 闇(くら)き狭間の果てより 現れ給う 】

・・・・・吹き荒ぶ風の中、金の眸の少女は歌う。



(旦那。)

闇の奥底。
佐助はただ、幸村を捜していた。

(旦那・・・幸村様・・・)

居ないなんて。
あなたがもう居ないなんて。
嘘、嘘、信じたく、無い。

(幸村様・・・・・)

幾度目か。
愛しい其の名前を呼んだ、瞬間。



・・・・・ゥ゛ヴウウーーーーーーォォオオオオオオオーーーーーーーーーーー・・・・・



鳴り響いた、4度目のサイレン。
其れは、終えの刻(ついえのとき)の始まりを告げる、崩壊の合図。






「因果、ってヤツなのかもな。」

遠く。
窓の外を眺めながら、政宗が呟いた。

「因果?」
「古い言い伝えだ。女神の泣き叫ぶ声が聞こえたら、外に出てはいけない。其れは、こんな昔話があるからなんだぜ?」


其の昔、城の裏手の草原は直ぐ近くまで波が打ち寄せてくるような浜辺だった。
ある時、其の浜辺に一つの船が流れ着いた。
「うつほ舟」と呼ばれる、木をくり抜いただけの小さくて単純な其の舟は、異国の罪人を乗せて流されるもので。
其の舟の中にも、何かしらの罪を犯して流罪に処されたのであろう、一人の少女が座っていた。
金色の眸を持ち、緑色の服を着た、たいそう美しい少女であったという。
其の服装から、神官や巫女などの地位に就いていた存在なのだろう事が伺われた。
身の回りの物は何も持っていなかった少女が、唯一抱えていた物があった。

「水晶だ。随分デカくて、神々しい代物だったと伝えられている。」

尊い水晶を持った、尊い異国の巫女。
何の罪を背負った者かは分からないが、手厚く崇めて敬おうではないか。
村人たちはそう言いあって、彼女の為に社を建てようとしたのである。
しかし。

「強欲なことで有名な長者が居てな。この莫迦は、立派な水晶が欲しくてたまらなくなりやがった。」

長者は、少女が自分の家に逗留したのを良いことに、毒殺して水晶を奪ってしまったのである。
今際の際、彼女は自らの国の言葉で、何事かを言い残し、事切れた。

「其の翌朝・・・。長者の息子が突然、“女神の泣き声が聞こえる”と言い出した。」

しかし、まわりの者は誰一人、そんな音など聞こえない。
日に日に長者の息子の言動は異常となり、そしてとうとう。

「村人を、片っ端から無差別に・・・殺しちまった。」

こうして一つの村が消え去り、残された水晶は其の地に根付いて巨大な柱となった。
水晶は海を呑み込み、大地と化し、草原と成して其の中央に根付いた。
複雑に成長した其の水晶中からは、今も尚女神の泣く声が聞こえることがあるのだという。

「其の声が聞こえたヤツは、必ず何か災いをもたらす存在になる。泣き声が聞こえたら、外に出てはいけないのは俺らじゃねえ、声が聞こえると繰り返し言うヤツの方だ・・・・っつー、救えねえ昔話だよ。」



何とも、凄惨な昔話である。
勘助はしかし其れ以上に、奇妙な違和感を覚えた。

「・・・其の話、何やら気にかかる点が多い。」

思案げに、麗しい隻眼が揺れる。

「奇妙な程、符合してはおりませぬか、伊達殿。」
「猿飛の一件と、か?・・・まあ、似て無くはねえ気もするがな。」

水晶、無差別大量殺戮、外へ出てはいけない、“女神の泣き声”・・・

其処まで思い至って、勘助ははっとする。

「伊達殿、其の、異国の巫女の外見の特徴を、もう一度!!」
「あ?」
「重大なことなのです、もう一度!!」

突然取り乱し始めた勘助に驚きつつも政宗は、出来る限り具体的に“異国の巫女”の特徴を挙げた。

「あー・・・金色の眸に、緑色の服。紅いリボンで深緑色の髪を結い、まだあどけなさの多分に残る・・・」
「・・・・・・・何と、言うことか・・・・」

絞り出すような、うめき声。
ただならぬ勘助の様子に、政宗も言い知れない不安を感じ始めた。

「おい、どうかしたのか?」
「佐助は、おそらく其の巫女を目撃しているのです、伊達殿。“さいれん”のことも、水晶のことも、其の者から聞いたと、そのようなことを言っていた。」

其れに・・・。
認めたくないのか、言いたくないのか。
少しばかり言い淀んでから、勘助は続けた。

「佐助にだけ聞こえていた、“さいれん”。其れがきっと、女神の泣き声なのでしょう・・・伊達殿、先程の昔話、何か他に伝えられている異伝のようなものは、ございませぬか!?」

勘助の脳裏には、最悪の想定が去来していたのである。
今までは、癒す術さえ見当たらない佐助の心の傷が、全ての異変を引き起こしているのだと思ってきた。
しかし、“さいれん”の元凶は思わぬ古い因縁に端を発しており、其の因縁の源と思われる深い恨みは、未だ浄化されぬまま此の地に残っているようなのである。
海を大地に変え、人の心を容易く破壊してしまう程の“女神”の怨念が、もしも今再び其の牙を剥く機会を得たのだとしたら。
そして、其の復讐の代行者が、佐助なのだとしたら。

抑えの効かない勘助の不安を心配しながら政宗は、幾つか昔話の記憶を手繰ってみた。

「言い伝えの言い伝えだから信憑性は限りなく低いが・・・異国の巫女が今際の際に呟いていた言葉は、こんな言葉らしいって話なら、ある。」

“1度目は、警告”

“2度目は、脅迫”

“3度目は、引き金”


「そして、水晶が砕け散り、4度目が鳴り響いたら終い・・・」


―――――――――― パァ・・・・・・・・ン・・・・・


乾いた、音がした。
其の後やや間をおいてから、勘助の目の前にいた政宗の躰が崩れ落ちる。
眉間に、赤黒い風穴が開いていた。

そして。
倒れ伏した政宗の向こうに。

「・・・・・さ、すけ・・・・・・」

一体何処から持ってきたのか、短筒の引き金に手をかけたまま、暗い眸で此方を見据える佐助の姿があった。
光線の加減か何かだろうか、其の両目から、どす赤黒い血のような涙のような何かが流れているように見える。

勘助は悟った。
4度目が、鳴り響いてしまったのだ、と。
もう、自分に抵抗の術が残されていないことを。

悔しさと無力さに打ち拉がれて、涙を拭うことも出来ない勘助に。


虚ろな眸の佐助は、壊れたように微笑んで、引き金を、引いた。





【 久遠の柱を砕きて 終えの刻(ついえのとき) 始まらん 】
【 女神の慈悲と怒りの 巡るは天の理 】

誰も居ない草原で。
金の眸の少女は一人、歌っていた。
口元には、冷酷な微笑が刻まれている。


此の郷は、嘗て神を殺した咎人の郷。
神の怒りと怨念は、そう簡単には終わらないのだ。

幾世代も幾世代も時を隔て、何度でも惨劇は繰り返される。
女神の怒りが終わるまで、何度も。

努々、忘れないことだ。

サイレンが鳴り響く時、其れは終焉へのカウント・ダウン。


【 真赤き女神の涙に 数多の命を捧げん 】
【 女神の選びし刃は 永久の命を生きる 】



少女の澄んだ透明な歌声は


遙か遠く、繰り返され続ける惨劇を見下ろす空の果てへと消えていくばかり。





サイレンが鳴ったら

外へ出ては、ならない。








†††††††††††††††
ハイ、長い話にお付き合い下さった優しいあなた様。
本当に、ありがとうございました。

映画見ている最中から、何とかしてBASARAネタに持って行かれないかとヤキモキしていたので、書き上げた本人は達成感に満ちています。莫迦です。

救えないサスユキ。救済も何もあったモノじゃありません。
佐助が幸村を、どれだけ好きだったのか、感じて下され・・・(脱兎)

作中で、金の眸の少女が歌っている陰鬱な歌は、ゲーム『SIREN』の「奉神御詠歌」のメロディーに、破月がこの話らしい歌詞をつけてみた代物です。