松永久秀は、先の戦にて武田に快勝
信玄以下甲斐の騎馬隊は、這々の体で逃走するのが精一杯であった。
其の、殿を護り続けた守護の水晶・・・山本勘助。
背筋が凍るほどの美貌の軍師は今、梟雄の腕の中に・・・囚われて、いた。




棘を抱いて

荊を落として

其処に毒を纏わせれば、ほら

其れは其れは美しい、死水晶の睡蓮が咲く






【 黙スル十六夜 】





干された杯に、なみなみと酒を注ぐ。
其の所作は、本来ならば伽を言いつけられた女の役目。
しかし、今宵久秀の傍らに侍る白い腕の主は、なよやかで麗しい存在だが、女ではない。

天下に名高き、美貌の、謀将。
其れも、彼の甲斐武田軍が誇る、嬌艶の闇軍師。

山本勘助、其の人であった。



武田との激突から、三ヶ月。
撤退する武田の殿を守り抜いたのは、勘助の、白い白い傷だらけの腕であった。
其の、華奢でか細い腕からは想像もつかぬほどの鉄壁の守りは、さしもの久秀さえも突破は出来ず。
甲斐の猛虎・武田信玄以下、真田幸村ら名だたる武将は全て取り逃がした。
唯一捕らえたのは、この紫水晶ただ一人。

以来勘助は、松永の本拠地にて人質として扱われている。


「良き月よ。卿も、そう思うだろう?」
「まこと・・・趣深い風情で。」

こんな役目を言いつけられて、さぞや屈辱極まりないだろうと、思う。
酒の席での話し相手ではなく、酌をするのが役目。
けれど、心根の憤懣をおくびにも出さず、淡々と受け答え、控える姿は慎ましく、美しく。
嬌艶。
其の二つ名の、なんと似合うことか。


「ああ、そうだ。本日武田から、和平の申し入れがあったのだよ。甲斐の猛虎は存外、卿にご執心と見える。」

唐突に。
今日の昼、はるばる甲斐からやって来た使者のことを、まるでどうでも良いことのように。
其のかんばせに、囁く。
瞬間、伏せられていた隻眼が、はっと見開かれ、けれど決して顔は上げず。

「如何、なさるおつもりか?」

微か、震えの響く声で、小さく問うばかり。

卿は私の言葉に従いたまえ。武田を、甲斐を、阿鼻叫喚の獄焔に包みたくは無かろう。

捕らえた勘助に、幾度も幾度も、久秀が繰り返した其の言葉。
其れこそ、武田の為なら命など幾つ捨てても厭わない勘助である。
脅しの効果は、絶大であった。
故に今も、何もかもを聞きたいのを必死で堪えて、言葉を押さえているのである。

「しかし、折角我が元に侍り咲く死水晶を手に入れたと云うのに・・・和平では、足りぬなあ。
 武田の隷属と、あの・・・戦忍あたりを交換で寄越してもらわねば、割に合わないのだが。
 不敗の猛虎は、飲んでくれると思うかね。」
「佐助を?其れは、何故?」

久秀の言葉の半分は、勘助も予想済みのものであったらしい。
彼が望むのは、武田との共存ではなく、甲斐の併呑だ。
だから、信玄に「膝を折れ」と要求するのは、分かる。
許せる・許せないとか、口惜しいとか言う問題ではなく、理屈として、ではあるが、納得はいくのだ。
けれど。

佐助の身柄を欲する理由は分からない。

松永軍にも戦忍の部隊はあるだろうに何故、此処で敢えて佐助の身柄を欲するのだろうか。
造反防止の人質であるならば、幸村や信玄本人を手元に捕らえておいた方が有効の筈。
忍法の極意をでも、奪うのが心づもりだろうか?
しかしおいそれと吐く佐助ではないし、久秀だった其の程度分かるはず。

解せない。

焦げ茶色の眸にまざまざ浮かぶ疑問を、久秀は鼻で笑って、こう一蹴した。

「山本勘助。私は卿ほどの宝を見たことが無い。主のためなら如何様な罪にも血にも染まることを辞さない、
 当に見上げた忠義。加えて・・・神さえ欺くその機略と、悪魔をも虜にする美貌。」

手に入れたら、返したくなくなるのが道理であろう?

「其の卿を返還するのであれば、替わりの退屈しのぎが無くてはつまらない。そういう理屈だ。理解できたかね。」

言い放つ久秀の眸に澱んでいたのは、紛れもない暗き深淵の奈落。
囚われの身の勘助は、其れをどうすることも出来ず。

残忍な笑みを刻んだ梟雄の唇が、勘助自身の其れを強引に塞ぐのを
黙って受け入れるより他無かった。