・・・コポ コポ コポ

銀色の空気の粒が昇っていく

見渡す視界は一面の深紅


――――― ヴウゥ・・・・・・

何処かで 低く遠く 掠れた音がする

其れは・・・水底から彼女を呼ぶように・・・





【 斯くて黒曜石は水底で 】





(嗚呼・・・此処は何処だ・・・)

沈みゆく己の肢体を感じながら、ふと彼女・・・
紗雪は思った。
沈んでいる。紅く染まった水の中を真っ逆さまに。其れは分かる。
しかし、何故自分が其の様な事態に陥ったのか、其処が綺麗に欠落していた。

(水・・・何故、紅いのだろう・・・血、か?)

とすれば、傷でも負っているのか、自分は。
そうならば致命的な傷の筈。しかし痛みはない。
・・・無いどころか。

(暖かい・・・)

とろとろと眠りさえ誘う、安らぎに満ちた温もりがある。
嗚呼、自分はこれとよく似た何かを知っている。
そんな何かが、身近にあった。そう思う。

(似ているんだ・・・そうだ、修理の、腕に・・・)

思い至る名前。しかし。


――――― 修理とは だれ?

記憶が混濁し、浮かびかけた面影が霧散する。
嗚呼、忘れてはいけない人なのに、何故、何故・・・
其の腕だけは放したくない、離してはならないのに、何故、何故・・・

(たすけて・・・)

・・・コポ コポ コポ
発したはずの言葉は、虚しい銀色の泡になり、消えていく。


(たすけて、たすけて・・・)

嗚呼、瞼が塞がってしまう、此処で眼を閉じたら、駄目、なのに。
無情にも遮断される視界、其の狭間から零れた一粒の涙は、水晶の粒のようにゆらゆらと昇っていく。






・・・ゴボゴボッッ

周囲の水がざわめく。
立ち昇る銀色の泡、其の向こうに無数の幻灯が浮かんでは消える。




・・・ギィ ギィ ギィ ...
古ぼけた櫂は、繰る度に砕けそうな音を立てる。
紅い水面を進む頼りない小舟、其の上で櫂を手繰る自分自身の姿を紗雪は見ていた。
白く、小さい手は不器用に、其れでも船を進ませる。何かを必死に求めながら。

――――― 誰、を?

探しているのは、誰なのか。


『・・・黒鳥 ...』

船の上の自分が呟く。
見れば、水面に点々と・・・漆黒の鳥の、羽。

(黒き白鳥・・・そうだ、あれを探して・・・)

いたような気がする。違う気もする。

薄闇の森の静寂の中、纏った着物の裾を翼のように翻して翔る、影。
僅か振り向いた口元、其の余りの白さに息を呑む自分。




・・・ゴボゴボッッ

確か、其の次だっただろうか。
銀色の泡沫の向こうに、横たわる骸の男を見たのは。

目を瞠るような長身、凛と整った顔、長い其の腕は何時も優しく抱きしめてくれた・・・

(嗚呼、修理・・・・!!)

朧に霞む記憶の中、忘れたくなかった人の名前だけが蘇る。
雨に打たれ、泥に塗れた内藤修理、其の向こうに立つ鬼面の女・・・




・・・ゴボゴボッッ

流れゆく幻灯はまたあるとき、幼い少女の姿を見せた。
整った顔立ち、年の割には地味で簡素な着物、手には難しそうな書物。
子供らしいあどけなさの欠落したかんばせで、少女は何処か彼方を指さしていた。

――――― 示された先には、暗い座敷牢がある。

見えもしないのに紗雪は、そう確信していた。

――――― けれど、中には何もいない・・・

其れもまた、奇怪な確信であった。
少女の指先から視線を戻せば、其処には。

嗚呼、何時の間に変貌したのか・・・顔に大傷のある、小柄な女が佇んでいる。
華奢すぎる程華奢な躯を僧形の甲冑に包み、冷酷な眸で万物を睨む鬼面の女。

(あれは、誰・・・)


紗雪を惑わす銀色の泡沫は揺らぐばかり。



――――― ヴウゥ・・・・・

何かの鳴き声のような音が、水底から手招いた。




心臓が
破れてしまいそうな程、早鐘を打っている。
其れでも走り続けなくては。
あの背中を見失ってしまわない為に。


『待てっ、黒鳥・・・・!!』

飛ぶように翔る、黒衣に包まれた後ろ姿。
見失ったら、帰れなくなる・・・・・

何処へ・・・・何故・・・・ 諸々の理屈など既に存在していない。
あるのはただひたすら、少しも距離の縮まらない黒鳥を追わなくてはという焦燥。

逃げる黒鳥を追いかけて彷徨う森、もう一度叫ぶ己の声、喉の奥微かに薫る鉄錆。


――――― ヴウゥ・・・・・

何処かで、またあの音がしている・・・・・




・・・コポ コポ コポ

耳元で泡が弾け、紗雪は意識を取り戻した。
紅い水、沈みゆく自分、不鮮明な現状・・・先程と何も変わらない。

ただ、何か恐いモノを見た、そんな気がした。
同時に、何かとても大切なモノを追っていた、そんな気もした。



――――― ヴウゥゥ・・・・・

心なしか、あの音が近付いているような気がする。
ゆらゆらゆらめく泡沫と深紅の水の向こうで、何か・・・
途轍もなく恐ろしい、触れたら二度と帰れなくなる、そんな何かが蠢いている。

・・・・・水底に潜む悪意。

不意に、紗雪の脳裏にそんな言葉が浮かんだ。


(絡め取られては、駄目。)

其れは本能が鳴らす警鐘 しか体はピクリとも動いてくれない。



――――― ヴヴウウゥ・・・・・

音がはっきり近くなる。
真っ逆さまに落ちる紗雪の其の頭上で、白くぬめる不定型な何かが、歓喜の雄叫びを上げている。



――――― ヴヴヴウウウゥゥゥ・・・・・

(・・・たすけて!!)

悲鳴にならない悲鳴が、泡になって弾けた   瞬間


力強く腕を引っ張る、深緑の袖を紗雪は見た・・・・・





「危ないところだった。もう少し遅かったら貴女は盗まれていた。」

腕を掴む手は白く、静かに云う唇も仄白い。
透けるような白、身を包む漆黒と対比してより一層幽く。

「黒、鳥・・・・」

追いかけていたモノが、目の前に舞い降りた。
漸く其の一言を紡いだ紗雪に、黒鳥は笑って、

「お帰り・・・君が離してはならない腕は、わたしの腕じゃない。」

繊細な長い指で頬をひと撫で
白い顔を覆い隠した黒い布の向こうで、朝焼け色の眸が優しく煌めいているのを感じた。

「黒鳥・・・」

嗚呼、訊きたいことがある、伝えたいことがある。
紡ごうとした言葉は、無数の泡と消えるばかり。


「眼をお醒まし・・・記憶は覚醒の向こうにある、だから・・・」

泡の向こうで
黒鳥はもう一度、笑ったようだった。





夢から覚めたように眸が開いた。

「勘助・・・!良かった、無事か。」
「しゅり・・・?」

気が付けば、ずぶ濡れの自分。辺りに水場はない。
けれど・・・

(何かを見ていた。水底の悪意、黒鳥・・・)

しかし、起き抜けの夢のように、手繰ろうとした記憶は片端から消えていって仕舞う。


「一体、こんなところで何をしていたんだ、勘助?」
「わからん・・・ただ、そうだな・・・何か、酷く恐ろしいモノと、大切なモノを見ていた気がする。」

同じ質問を内藤に問い返したところ、

「や、気がついたら見知らぬ景色の中にいて、ふらふら歩いていたら、
 花に包まれてびしょ濡れで倒れているお前を見つけたから・・・・・・」

という、漠然とした答えが返ってきた。
確かに見れば、紗雪が体を横たえていたのであろう場所には、白く頼りない花たちが咲いていた。

白い花。
透けるような白 其れは彼の黒鳥の・・・

(黒鳥・・・)

水底から浮かびくる泡のように
色のない唇が、白い横顔が、記憶をざわめかす。


――――― ああ、そうだ・・・

漸く、夢と現の狭間で混濁していた意識が繋がった。
そして、自分が為さねばならないことも。

「動けるか、勘助。」
「ああ。・・・修理、すまないがわしは行かなくてはならん。探したい者がいる。」

覗き込む内藤の眸を真正面から見つめ返して
勘助は、静かに云った。

「黒き白鳥・・・黒鳥を探したい。」
「一人より二人の方が見つけやすいよ、勘助。」

間髪入れないタイミングで
さも当然のように、内藤が答える。


勘助は、薄く笑って

「ならば、ゆくぞ。」

まだ乾かない髪の儘、ゆっくりと歩き出した。













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「うちの子ご自由にお書き下さい」に乗っかってみた(テメ)
これでOROCHIと言い張ってみる・・・
いやいや破月、これ誰がどう考えてもSIRENだよね?
無双OROCHIじゃなくて無双SIRENだよね?(ア痛っっ、痛っっっ!!)←投石
霧の向こうに繋がる世界のイメージだったはずなのに、何か気が付いたら模倣体・・・

ええと、紗雪お姉様が忘れるはずのない内藤殿のことさえ記憶が曖昧になった理由ですが。
これが「盗まれかけていた」証拠なのです。
記憶とか、自我とか、そういった諸々を雲散霧消させた抜け殻・・・
紅い海に沈み、そして還ってくるのは、そうして「己である証」を根こそぎ削られた存在なのですよ。
今回は、満身創痍の黒鳥が助けた為無事でしたが。

・・・この辺のくだり、完璧に堕慧児と模倣体だよなあ。
(攻略本の眺めすぎだ、莫迦め!)

てゆか
サイレンの音に挑戦するのは2回目なんですが、うまくいかないな、コレ。
擬音語はやっぱり難しいです。