落とした視線の先にある、己の指に、ふと。
見慣れぬ色彩を認めて、元就は首を傾げた。

・・・手の甲一面を覆う、蒼い痣。のたうつ蛇の鱗模様にも似た、其れは刺青であった。

(これ、が・・・・)

大谷、貴様の言っていた業か。呪いか。
見る間に手から腕へと侵蝕していく其れを見遣りながら思い出す。大谷吉継が、今際に紡いだ呪いの言葉を。

『呪われてやれ、日輪の子。ぬしが踏みにじった我らから、最期の手向け、最期の呪いよ。永劫死ねずの闇を彷徨え。
 甲斐武田の、紫水晶のようになァ。尽きせぬ業と呪いに蝕まれ、ヒトの道から外れたまま永久に生きるが似合いよ。
 我だけでなく、三成も黒田も、徳川すらも其の手で握り潰したぬしには、な。』

耳の奥底で反響し続ける其の声に集中することで、刺青が発する激痛に耐える。
腕から肩へ、肩から首へ。程なくして刺青は全身に打ち刻まれた。

「永劫、此の刺青に蝕まれたまま生きよ、と。其れが貴様らの呪詛か、大谷。」

寧ろ好都合よ。其処だけ声に出さず呟いた。つもり、だった。

『そうやって、アンタはまた抱え込むつもりなんだな。』

不意に。聞こえるはずのない声がして、顔を上げる。見遣れば、其処に。

「長曾我部・・・・・。」

今し方、この手で葬ったはずの、西海の鬼の姿があった。



何処とは知れない、薄暗がりの汀に元就は佇んでいる。
其の視線の先、膝のあたりまで水に浸かる位置に。

憎しみと怒りの水底に沈め、葬ったはずの男は立っていた。

「何用だ。死してなお、我を殺そうと化けて出たか。」
『亡者も其処まで暇じゃねえよ。渡る途中だ。俺だけじゃねえ。』

言いながら元親は視線を巡らす。つられて、元就も同じ方向を見た。二人の視線の先を、無数の影が歩いていく。

(石田、大谷、黒田、徳川・・・・)

その中にある見知った顔。元就は息を呑んだ。

「逝くのだな、涯(はたて)へ。」
『ああ。此処を渡って向こうの岸へ、な。随分大勢逝くもんだな。』

見知った顔のあとには無数の足軽具足が続いた。嗚呼、あれも我が捨てた駒か。ぼんやりと思う。

「どのみち向こうへは逝けぬ。我にはどうでもよいことよ。」
『その、刺青か。』

低く吐き出した言葉を、元親は耳ざとく聞きつけた。顔色を変えずに元就は言う。

「甲斐武田の軍師と同じ刺青だそうだ。不死の水晶と同質、つまり我も不死の呪いに蝕まれたということよ。」
『で?永遠に自分のしでかしたことを反省しろってか?気の長い話だな。』

元親の声も言い様も、何処か肯定的ではない。

「どういう意味だ。」
『永劫覚えていれば償いになる。そんな莫迦な話で納得するかよ。何れこっちの岸に来て、心底反省しやがれ。
 でなけりゃ、俺の気が収まらねえ。』

其の言葉の意味するところを悟り、元就は鋭い声で問う。

「貴様・・・自分の言っている言葉の意味が分かっているか?」

険しい目で言えば、ようはあんたを許すってことだ、と事も無げに返される。元就は形のよい眉を盛大にひそめた。

「莫迦な・・・我を許すなどと、よくぞそのような戯れ言が言えたものだ。貴様は我の策によって最悪の死を迎えたというにも
 関わらず、その我を許すだと!?貴様の本心は大谷の呪詛と同等であろう!?」
『最初はそうだった。永遠に苦しみ続ければいいと思った。けどよ・・・コイツを見て、ちょいと気が変わったのさ。』

鬼の武骨な手が、元就の手をひょいと取り上げる。其の一面に打ち刻まれた、鱗紋様の刺青をなぞりながら、元親は言う。

『あんたは平気なんだと、俺はずっと思ってた。誰を犠牲にしようが、兵が何人死のうが、気に留めてなんざいねえと思っていた。
 だが違った。あんたは何もかも覚えていた。何処でどれだけ兵士を死なせたか、どんな手段で誰を死に至らしめたか。
 そうやってあんたは苦しみ続けていたんだよな、顔に出さないだけで。だから・・・』

許される日が来てもいいんじゃねえのかと、俺ぁそう思うんだよ。穏やかに元親は言う。

「戯けたことを申すな、長曾我部!!我が、我は、」
『許されるはずがない、そう言うんだろ。ソイツぁまったくもって其の通りだ。だが・・・それがわかってるんだから、
 あとはあんたも何れこっちに渡ってきて、きちんと詫びを入れてくれ。其れでいいからよ。』

ただ延々苦しみ続ければいいってもんでもねえだろ、元親はそう言いながら、元就の手を自らの頬に当てる。

『他の誰かを苦しめた分、あんたはもう充分苦しみ続けただろ。もういいじゃねえか。永遠の呪いなんざ、あんたには必要無ぇよ。』

そう言う元親の頬から口元へ、あの蒼い刻印が広がっていく。入れ替わるように、元就の手からは刻印が消えていく。

『何時か、こっちへ渡ってこい。毛利元就。そん時詫びてくれれば、其れで俺は許してやるからよ。』

石田と大谷、家康にも伝えておくさ。くるり、背を向け歩き出すその先には律儀にも、凶王と呼ばれた男が立って待っている。
今の今までも隣の全身に刻まれていた刺青をすべて、その屈強な身体に刻んで、西海の鬼は悠々と歩き出した。



元就は我に返った。夜明けの厳島、元就が佇むその場所に今まさに、昇る太陽の光が差している。

「・・・何故だ。」

低く。零れたのはあの男への問い。

「何故、貴様は許せると言える。何故、我の罪も痛みも連れて逝った。」

強い浄化の光に焼かれて、描こうとする面影は瞬く間に消え失せていく。
忘れていい、背負わなくていい、あの鬼がそう言っているように。

「まこと・・・気に食わぬ男よ、長曾我部。死してなお、気に食わぬ。」

絞り出すように言う元就の両眼から涙が零れた。止め処なく。
罪も罰も何もかもを攫って、風は穏やかに波間を吹き抜け、消えていった。