其の背中が去り逝き消えても
俺の立つ場所は、此処
だから想いは此処に在り続ける、ずっと
崩れた理想という名の楼閣、其れを成していた氷片を抱いて
黒き氷塊の楼閣
お味方は総崩れ
嗚呼、藤舞踊も舞い散るときが来たと・・・其の時、知れた。
「押し返されていますね。」
「お前がその怪我ではな。他など・・・見ずとも分かる。」
九月十五日、関ヶ原。
西軍本陣にて、三成は終焉を知った。
過ぎたる者まで称された島左近が、鉛玉の集中砲火を喰らい一時撤退。
当初は押していた西軍勢だが、小早川の裏切りを切欠に次々敗走、全滅の一途を辿った。
最早、勝てまい。
この絶望的な状況で勝機があるなどと信じられるほど、三成は莫迦でも楽天家でも、無い。
終わるのだ。
此処で、義は潰えるのだ。
そう確信できた。だけのこと。
其の事実が唯、痛かった。
「左近。」
「どうしました、殿。」
悔しさだとか
悲壮感だとか
そういったモノの一切が欠落したような静かな声で、背を向けたまま三成が呼ぶ。
左近も何時もの調子で、其の背に答えた。
互いに、自分たちの無惨な末路を受け止めながら。
「俺の理想は・・・無価値なモノだっただろうか。」
らしくない。
そう思いながらも左近は「いいえ。」と答える。
「義の世、皆が笑って暮らせる世。其の理想が無価値な筈はないですよ。」
「俺は、其の世の為ならば何と呼ばれようと・・・佐和山の狐と呼ばれようと、構わなかった。
愚かでも、荒唐無稽な願いでも、構わなかった。」
「存じていますよ。」
俯いた、後ろ姿の
細い肩が、震えていた。
其の涙の理由は分かるような、分からないような。
「どうやら、砂上の楼閣だったようだな・・・」
「良いじゃないですか。其の楼閣が実像とならないのが残念ですが。」
きっと、あんまりに綺麗すぎたのだ。左近は思った。
三成が描き抱いた理想は、あんまりに綺麗で、綺麗すぎて。
だから崩されてしまうのだ、実像となる前に。
「如何なる理想も、形にならなければ意味など無いのにな。」
自嘲する涙声。
そんな声まで綺麗だから、あなたは。
「少なくとも左近は、殿の理想とする世の話が好きでしたよ。」
綺麗な人が紡ぐ、綺麗な世界の夢物語。
其処へと辿りつく為に、此の知と力を振るいたいと思えたから。
そんな風に、思わせてくれたあなただから。其れに従ってきた此の命だから。
「だから最期まで、お供させて下さい。」
ついに訪れることのない日々を夢見て笑い合った日々
其の追憶の為に今・・・逝こう。
軽々、斬轟一閃刀を担ぐ左近は全身傷だらけで。
そのまま動き続けたら先がないことは火を見るより明らかだった。
でも
「共に逝こう。俺は最期まで、義の為に進みたい。」
散るならば、其の刹那まで潔く
座して終焉の迎えを待つのではなく、信じたすべてと共に凛と
振り返った三成の頬に、もう涙はない。
左近は小さく頷いて、そっと手を差し出す。
三成は無言の侭其の手を取った。
二つの影は、手を繋いだまま
戦塵の彼方へと消えていく・・・
夢見た理想は、氷の楼閣であったのだ
あんまりに綺麗すぎて、冷ややかな理想郷
故に儚く掻き消えて、跡には何も残りはしない
其れは何者にも触れられない、魂の聖域。
嗚呼・・・触れられることのない・・・場所であるならば
其処に何よりも大切な追想を閉じ込めて、永久に眠らせよう。