「よし。」
片眼鏡の奥の穏やかな眸が、ほんわりと微笑んだ。
「心配してたほど傷が深くなくて、良かったよ。」
「か、かたじけないでござる、参謀殿!!」
「良いって。じゃ、私は行くよ。事と次第によっては本隊引き連れてくるからね。」
小田原城近くの、避難民が暮らす村。
幸村瀕死の報を受け、武田軍はすぐさま、見舞いの使者を送り出した。
豊臣軍駐屯地に赴く手前、誰が行くかで揉めそうになったところを、おっとりと立候補したのが、武田の参謀・・・
内藤昌豊であった。
幸村に傷薬を渡しに来たという言い方だったが、ひょっとしたらいっそ連れ帰るんじゃないかと思っていた
慶次は、少し拍子抜けした。
「使者寄越すくらいだから・・・強制帰還とかさせられるんじゃないかって思ったんだけどなあ。」
「参謀殿は、俺の気持ちを汲んで下さったのだ。あの方は誰よりも優しいから。」
「んー・・・確かに、ほんわーっとした人だったけどさ。」
春の日だまりのような笑顔を思いだし、ほんの少しだけ暖かい気持ちが込み上げる。
けれど
「薬渡す為だけに・・・甲斐から小田原まで来るのか?」
其れは、残された一抹の疑問。
【 鳴かない猫 】
鬱蒼と茂る深緑の木々。
そのまま緑に呑み込まれてしまいそうなほど、噎せ返る樹木の匂い。
嘗て昌豊が、北条に身を寄せていた時、よく昼寝をした場所であった。
「小太郎。」
小さく呼べば、微かに葉擦れの音がする。
ややあって、昌豊の目の前に、白と黒の忍装束を纏った青年が一人、ふわりと現れる。
とはいうものの、全身至る所に深い手傷を負っており、白い布地に染み込んだ血の赤が、至る所で黒く固まっていたが。
「こっちは、思っていた以上に酷いなあ・・・」
ぽつり、昌豊はぼやいて、小太郎の腕を取り、座らせた。
昌豊が風魔小太郎と出逢ったのも、この森だった。
長閑な春の陽気に誘われて、仮眠のつもりが大爆睡してしまい、夜になっても帰ってこなかった昌豊を心配した、時の北条家当主・・・北条幻庵が探しに来させたのが小太郎であった。
以来、昌豊が北条を去るまで、何かと小太郎は昌豊の傍に付き従ったものだった。
『よかったな小太郎、世話を焼くべき子猫が見つかって。』
よく幻庵に、そう笑われたりもした。
其の、小太郎から。
助けを求める書状が・・・正確には書状と呼んで良いのかどうか分からないが、兎も角届いたのは、奇しくも幸村の知らせが
届いたのとほぼ同時であった。
「私のことを、覚えていたんだね。」
黒銀の翼を持つ隼が、血塗れの月長石の玉を届けた時、零れたのはそんな言葉。
其の貴石は紛れもなく、北条を去る別れ際に、昌豊が小太郎に渡したもので。
凛々しい隼は確かに、小太郎が使役していた鳥であったから。
(豊臣の大群相手に、独りになっても闘ったんだね。)
そう思うと居ても立っても居られず、小田原行きを志願した。
目立つと拙いからと言いつくろって、単身此処まで乗り込んできた。
ひとえに、小太郎のことが心配で心配で。
幸村に薬を手渡すのもそこそこ、急いでこの森へと向かった。
小太郎が居るとしたら、此処しかないのだから。
見つけた小太郎の、怪我の酷さには息を呑んだが。
手遅れにならなかったことが、何よりもよかったと、昌豊は胸をなで下ろした。
「処置はこれで終わりだよ。派手に消毒したし、きっちり止血もしたから大丈夫だ。」
濃密な深緑の匂いを上回る、消毒薬と血の臭いが僅かに立ち込めたが、昌豊は気にしない。
「さてと。残念だけれど小田原はもう落ちた。お前はどうする、小太郎。」
幻庵の父であり、北条家の初代当主でもあった北条早雲に見出されて以来、小太郎の居場所は常にこの小田原、
もっと云えば北条であった。
其れが瓦解した今、小太郎の居場所はない。
昌豊は、こう続けた。
「何処にも行く予定がないのなら・・・うちにおいで。」
遊びに行く友達を、気安く誘うような言い方だった。
声の出し方を忘れてしまっている小太郎は、甲冑の奥の眸で、困ったように昌豊を見上げている。
怪我の手当に来てくれただけでも驚いているのに、その上拾ってくれるというのか。
何時も隠されて見えない、十六夜に似た薄氷色の瞳が、静かに問いかけていた。
「ああ、大丈夫大丈夫。うちのお館様、多分薄々勘付いているし。うちの軍師の勘助も、盛大に溜息吐いて『やっぱり』って
云うだけだろうし。佐助も幸村も良い子だから、お前と直ぐに仲良くなれると思うよ。」
小太郎の諸々の心配を、へらへらふわりと軽く笑い飛ばして。
「ね。だから・・・おいで?」
もう一度云えば、差し出した右手を、幼子のように小太郎は握りかえした。
刹那
直ぐ横の大木に、奇怪な紋章が浮かび上がるやいなや、其の紋章から凄まじい勢いで漆黒の矢が放たれた。
手負いの小太郎を軽々と抱き上げ、昌豊は身を翻す。
「手荒な挨拶をされる覚えはないんですが、どなたですか?」
穏やかな昌豊の声に、珍しく静かな怒りが滲んでいる。
「僕たちが落城させた城の忍を勝手に連れて行こうだなんて、君も人が悪いね。」
昌豊の疑問に答えようとせず、木々の影から其の人物は姿を現した。
銀色の髪を右側頭部で高く結い上げた、緋色の眸の美少女。
今し方の奇襲は明らかに彼女の仕業であるのに、全く其れらしい殺気を漂わせては居ない。
何より、其の優雅な物腰は、音に聞く豊臣の天才軍師・竹中半兵衛の噂に酷似している。
しかし、携えている武器は噂の関節剣ではなく、装飾の施された南蛮千鳥鉄で。
なにより、竹中は麗しい男だとは聞いているが、少女だなんて話は聞いたことがない。
昌豊の内心を知ってか知らずか、少女は優美な笑みを浮かべて言った。
「僕は、石田三成。其の『鳴かない猫』は、秀吉様のものだよ、昌豊くん。」
白魚のように美しい指が、つい、と小太郎を指す。
『鳴かない猫』
何時如何なる時も決して鳴き声を出さないよう、厳しい訓練を施された猫のことだ。
地獄以上の過酷な鍛錬の末に言葉を忘れてしまった小太郎は、何時の頃からか『鳴かない猫』と、蔑み混じりに呼ばれていた。
其の、人を人とも思わないような呼び方が、昌豊は何より、嫌いだった。
「成る程。武帝の娘、心知らぬ美しい人形の噂は本当だったということだ。」
そう言えば、余りに荒唐無稽すぎて聞き流したが、そんな噂があったではないか。
天才軍師に酷似した娘が秀吉にはおり、しかしながら其の娘には、人間らしい心が完全に欠落しているのだ、と。
「帰って、秀吉公と天才軍師に伝えなさい。お前たちのような軍に、小太郎は渡さない、と!」
言ったのと
背負った包みを払い、陰陽剣を一閃させたのと
どちらが、早かっただろうか
昌豊の身の丈以上もある巨大な剣が、爆発的な風圧を誇る風の渦を、三成に叩きつけて。
目を開けた時既に、其処に昌豊と、小太郎の姿はなかった。
「逃げられたか・・・まあ、武田を落とせば済むことだから、さしたる問題でもないね。」
服の埃を払い、三成は優雅に笑う。
「それにしても、聞きしにまさる甘い男だね、昌豊くんは。忍になんて、感情移入する方がおかしいのに。」
作り物めいた白い顔に、浮かんでいたのは明らか、冷笑であった。
「いやあ、逃げ足っていろいろなところで重宝するなあ。」
先程の怒りに満ちた表情は何処へやら、すっかり普段ののほほんとした表情で、昌豊は述懐した。
右手には陰陽剣を、左腕には小太郎を、それぞれしっかりと抱えている。
というよりも、小太郎がしっかり、昌豊にしがみついて離れようとしないのだ。
「安心しなさい。あんな連中にお前を渡したりしないから。」
あやすように背中をそっと撫でると、少しだけ安心したのか、小太郎の腕の力がゆるんだ。
言葉を発する心配がなければ、万一捉えられた際に漏れる情報がないということ。
故に小太郎は『猫』蔑まれつつ、どの国も得られるものなら是非得たいというものでもあった。
けれどそれは、まるで物扱い。
風魔小太郎という人格も人権も、何処にもない扱い。
「お前だって・・・忍以前に、人なのにね。」
悲しそうに、昌豊に秀麗な笑顔が翳る。
けれど、其れも僅か一瞬ばかりのこと。
すぐさま、人の良いおっとりとした笑みが広がった。
「さて。このまま、甲斐まで連れて行っちゃって良いかな。其れとも、お前が何処か別なところに行きたいなら・・・」
科白を遮って、小太郎がぎゅっと、昌豊にしがみつく。
言葉で語るよりも雄弁な態度に、昌豊は笑って言った。
「わかった。今日からはうちの子になりなさい。きっと皆喜ぶ。」
誰よりも喜んでいるのが、昌豊本人であることはもう、言うまでもない。
「じゃあ、一度幸村が居た集落に戻ろう。流石に馬がないと厳しいからね。」
小太郎を抱き上げたまま、月のように柔らかな微笑を浮かべて昌豊は言った。
†††††††††††††††
ネタの神は、破月に何をさせたいのか。
や、内藤昌豊が一時期北条にいたって話を聞いたので、てゆかかなり前に偶然知ったんですが。
こんな形でネタに出来るとは思わなかった・・・
ドラマCDで、小田原城が豊臣に落とされて、風魔どうしたのかなあって。
其れが発端ですわ。
で
我が家のファイナルウェポン・内藤昌豊なら連れに行くかなあ、と。
絶対こいつ、風魔大好きで良いよ。
ものっそ可愛がっていたで良いよ、うん。
鳴かない猫、てーのは、うちに転がっていたマンガから引っ張ってきたネタです。
軍事訓練されて、鳴き声出さないようにされてるらしいですね。
ああ、コタはこれと同じなのかな、と。
何となく思ったわけです、お前もう爆死してこい破月(ちゅどーん)
我が家の幻庵殿ですが、取り敢えずことあるごとに昌豊に鉄拳制裁してる人。
彼に持たせると、水鉄砲が殺人兵器になります、はい。
「小太郎!莫迦に効く薬持ってこい!!バカリン持ってこい!!」みたいな(どんな)
そして、とうとう出てきましたよ爆殺天使!!
外見が思いっきりラフレンツェなのは禁句です。
この子は怖い子でいいです。敵に対して、可愛い顔してエグイ事平気で言う怖い子でいいです。
武器は、南蛮千鳥鉄(なんばんちどりがね)と強力なトラップで。
・・・・・寝言が長すぎです。