[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。

其の後ろ姿は、薄闇の中余りに小さくて小さくて
そのまま、連れて行かれてしまいそうな気がして、ちょっと怖かった。

其れが、左近が三成を見つけた時の偽らざる本音である。
如月も下旬、しかし吹く風はまだまだ冷たく厳しくて。
線の細い三成が、最後の陽光も消えんとする時分に外にいると、それだけで心配になってしまう。

「殿、日は暮れています。何をしておいでで。」
「左近・・・いや、なんでもない。」

普段はそれなりに気配にも敏感な三成が、今初めて左近に気が付いた風情で振り返り、目を見開く。
何かに気をとられていて、本当に気が付いていなかったのだろう。あどけなく見開かれた瞳が物語っていた。

「なんでもなくはないでしょう?左近にも気が付かずに何かに見入るとは、妬けますな。」
「莫迦かお前は!なんですぐそう、」
「だったら、教えてくださっても良いじゃないですかね?」

からかえば忽ち、白磁の頬が朱に染まる。毎度毎度反応の可愛らしい主の顔は、見ても見飽きない。
本気でこう思っているのだから末期だ、自覚はしている左近だった。
三成も三成で、毎度からかわれているにも関わらず反応はいつもこうなのだ。もう、補正のしようがない
性分だとしか言い様がない。言葉も態度も、本音を隠す術を知らない性質なのだ。
その証拠に、照れくさそうな、バツの悪そうな様子で、

「・・・春告草が、咲いていたのだ。」

そっぽを向いてぼそぼそと言う。綺麗な顔がふくれっ面になっているのだが、其処がまたたまらなく、可愛い。
内心ではそう呟いて苦笑しつつも、左近は三成の其の言葉も気にかかった。

「春告草?梅がもう咲いているんですか?」

まだこんな寒いってのに?重ねて問えば、また三成が不愉快そうに眉間に皺を寄せる。

「俺が嘘なぞ言うと思っているのか。」
「いえ、そうじゃなくて。まだ枝に雪も残っているのに、春は来てるんだなあと思っただけですよ。」

其れで納得したのか、三成はそうだな、と一つ言って睨むのをやめた。
実際、今朝方も雪がちらちら舞ったし、先日降った雪がまだ解けていないところもある。
そして、次第に藍の色彩に沈んでいく空気は身を切るほどに冷たい。

「だが・・・見ろ、左近。ほら。」

余程、見つけた小さな春が嬉しかったのか、三成が少しだけ浮かれた声で呼ぶ。
素直に従った左近も確かに、枝先に灯った小さな春を見た。
小さな白い梅の花。ポツリポツリと咲き初めた其れは確かに春を告げる花であった。

「殿が梅をお好きだとは、知りませんでした。」
「・・・別に、そんな大袈裟なことではない。一つ忘れられん話があるだけだ。」

言葉はつっけんどんだが、其の声には懐かしさと、僅かばかりの隠せない哀しみが漂っている。
左近は大人しく聞くことにした。

「秀吉様がご存命だった頃だ。桜もまだ咲かぬと言うのに春の宴会が催されたことがあった。
 昔のこと過ぎて詳しい状況は忘れたが・・・その時、白梅の飾りをあしらった簪をもらった。」

厳密に言えば、結い上げた髪にそのかんざしを挿されたのだ。淡々と言う三成に左近の方が仰天した。

「殿、よくその状況で怒りませんでしたね。」
「震源地が秀吉様だったのだ、怒るわけにもいくまい。不快ではあったがな。」
「そりゃあ、確かに・・・で、その簪は。」

多分、三成は折角綺麗な顔をしとるんじゃから、もう少し飾ってもええじゃろー、とか何とか云われたんだろう、と
背後事情を推察しながら左近は言った。

「さて・・・使うわけにも捨てるわけにもいかぬうちに、何時とはなしに何処かへいってしまった。
 別段無くて困るわけではないが・・・梅を見ていたら思いだした。其れだけだ。」

三成の言葉は素っ気ない。が、やはり何処かしら無理をしているようでもあって。
左近はほろ苦い笑みを浮かべた。

「本当に、殿は意地っ張りですな。」
「今の話の流れで、どうして其処に帰結する・・・・」

言い返そうとした三成の眼前に、白い花。
小さいながらも美しい細工の白梅があしらわれた簪が、在った。

「庭に落ちていたのを見つけました。投げたのは、殿でしょう?」

言い当てられた三成は俯く。さらりと揺れた紅茶色の髪に、左近は其の手に持っていた簪をあてた。

「確かに、よくお似合いですよ。」
「・・・同じことを、莫迦と、どうしようもない莫迦にも言われた。」

其れは漸く聞き取れる程度の、低い小さな声。
今は三成と袂を分かってしまった、兄弟同然に育った彼らのことであった。

「清正のヤツ、普段は皮肉じみた言い方しかしなかったくせに、あの時ばかりは本気だった。正則もだ。
 泥酔寸前まで酔いつぶれていたくせに・・・いや、其の所為だろうな。からかいでも莫迦にするでもなく、似合うと。」
「その想い出を断ち切るつもりで、これを投げたというわけですか。」

三成が頷く。左近は諒解していた。
近く、日の本を二分して戦を起こす。三成は清正たちと闘うことになる。
僅かな未練も残してはならぬと、この不器用な主は考えたのだ。其の為に、大切な想い出の品である簪を投げ捨てたのだ。
なんとも不器用なことである。が、三成らしい行動だ。

「捨てなくてもいいんじゃないですかね?そんな些末なことで、戦の勝敗は左右されませんよ。」
「だが、左近・・・」
「殿の勝利は左近が引き寄せます。だから、そんな顔をなさらないで下さい。」

泣きそうな顔で見上げる三成の肩を強く抱きしめる。
黄昏の空気に冷やされた躯が震えていたのは、寒さの所為ではないだろう。
涙こそ流していなかったが、三成は全身で泣いていた。

「何があっても、どんなことになっても、貴方をお守りします。」

抱き寄せた耳元に呟けば、か細い指が左近の上着を強く握り締める。
折り重なった二人の影絵を、枝先に咲いた花だけが見つめていた。





其処で、目が醒めた。夜明け前の空気は冷たく、嗚呼、まだ春は遠いと思い知らされる。
暫く、夢と現実の境界を彷徨って後・・・

清正は、ゆっくりと体を起こした。

夢を、見た。
紅葉の季節に死んだ三成の夢だった。
傍らには腹心の島左近も居た。二人で、ポツリポツリ咲き始めた梅の花の下にいた。

「莫迦が・・・」

小さく言う。涙が一筋、頬を伝った。
何時の春のことだったか、梅の花の下で宴会が催された。
その時、酔った秀吉が巫山戯て三成の髪を結い上げ、かんざしを挿した。
・・・白い梅の花があしらわれた簪は、ひどく三成に似合っていて、似合いすぎていて。

「・・・莫迦が。」

もう一度言う。幾ら言ったところで、三成が悪態を返してくることは、無い。もう二度と。
そう思うとやりきれなくて、どうしようもなくて。

項垂れる清正の鼻先を掠めた香りは、紛れもない

季節外れの、白梅であった。